人もすなるブログといふものを我もしてみむとてするなり

0

めずらしく真面目な話

フランスの雑誌社が襲撃された事件を機に、かの国では大々的に反テロ・デモが行われている。
もちろん、テロ行為は糾弾されるべきである。武器も持たない抵抗する術のない人間を、不意討ちして射殺するなんてのは、間違いなく非道な行為であり、許されることではない。でも、そういうテロ行為を非難することと、襲われた雑誌社を支持することは、まったく話が別である。

「言論の自由」とか「表現の自由」とかいうのは立派な大義ではあるが、それは他者を不当に貶めて笑いものにしても構わない、ということではないはずだ。問題の雑誌「シャルリー・エブド」は、そこのところをカン違いしてんじゃないかと思うような過激な(ほとんど悪辣といっていい)風刺漫画を掲載してきた雑誌である。
確かに新聞をみれば、非人道的な事件をくり返しすイスラム系の過激派が国際社会を騒がせている。でも、だからといってイスラム教そのものを侮辱していいってことにはならない。穏健で常識的なムスリムもいれば、被害者の中にだってムスリムがいるのだ。イスラム教の創始者モハメッドや聖典コーランを侮辱するような風刺画は、そうした人々を不当に傷つけてきたに違いないのだが、過去「シャルリー・エブド」は抗議のデモや自粛要請があっても、ことごとく無視してきた。そこには、異文化・他宗教に対する配慮とか尊重の気持ちもなければ、不当に傷つけられた人々に対する責任感も微塵も感じられない。

自由には責任が伴う。そうでなければ、自由の名のもとに何をやってもいいってことになってしまう。
けれど「表現の自由」を振りかざす「シャルリー・エブド」は、それに見合うだけの責任感を感じさせない。面白半分で無責任に他者を貶め、そのために脅迫を受けて警護されることさえステータスだと思ってたんじゃないかという気がする。

そういう雑誌社を、ただテロ被害にあったからという理由だけで支持するってのは、ぜったい違うと私は思う。それだけに、フランス国内で "Je suis Charlie(私はシャルリ―)"というのが反テロ運動の合言葉になっていることには、ものすごい違和感を感じる。そして、そういう議論がマスメディアでほとんど見受けられないのも、めちゃくちゃ気持ちわるい。

テロを糾弾するのはいい。でも、それによって他者を無責任に貶めてきた者に多くの人々が喝采を送るようになるのなら、それはものすごく怖い事だと思う。

関連記事
スポンサーサイト

該当の記事は見つかりませんでした。

Leave a reply






管理者にだけ表示を許可する

Trackbacks

trackbackURL:http://angiebxl.blog.fc2.com/tb.php/289-67c06e0c